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その日に思いついたこと、出来事を書いていこうと思います。
 



2005年7月12日を表示

破壊王橋本真也のご冥福を祈ります。

<訃報>破壊王橋本真也の死



破壊王死す!!
人気プロレスラー橋本真也さんが11日午前10時36分、
横浜市内の病院で脳幹出血で死去した。40歳の若さだった。
同市内の自宅で倒れて救急車で搬送されたが、すでに心肺停止の状態だった。

橋本さんは84年4月、新日本プロレスに入門し、同
期の蝶野正洋(41)武藤敬司(42)と闘魂三銃士
として人気を集めた。

00年11月には新団体ゼロワンを旗揚げしたが、団
体経営と右肩痛に苦しんで昨年11月、活動停止を発
表。長期休養からフリーとして復活に備えていた矢先
の急死だった。岐阜県出身。


橋本さんは素顔を隠さない現代っ子レスラーの代表だった。

昔の選手は超人的、非常識なイメージを売るため、必
要以上の露出を封じた。今では格闘家らしくスマート
で常識的な選手が増え、神秘性も薄れた。ファンもど
派手な言動を「プロレス流パフォーマンス」とわきま
えている。


 それでもプライベートを明かさない選手は多かったが、橋本さんは型破りだった。

新日本のエースだったころ、テレビのバラエティー番
組で夫婦生活のエピソードを語り、絶縁状態だった父
親と面会した番組では号泣した。

「破壊王」として君臨したマット上だけでなく、社会
人としても親分肌なところを見せた。計算のない性格
が会社や後輩にも慕われ、新日本の選手会長時代は
「(レスラーのイメージが悪くて)アパートも借して
もらえないようではダメ」と待遇面の改善にも取り組
んだ。



 団体のトップを張るため、体を酷使した。00年4
月に「負けたら引退」と銘打った東京ドーム大会で小
川直也に敗れた直後、山ごもりして断食修行をした。


「進退を見極めるため」とプロレス流の理由づけをし
ていたが、実は毎回の激戦と重くなりすぎた体重が心
臓に負担となっていた。食欲には勝てず、断食修行は
実らなかった。

しかし巨漢に似合わない鋭い蹴りと袈裟(けさ)斬り
がトレードマークとなり「ブッチャー」と呼ばれてフ
ァンに愛された。

当時の引退騒動も
「団体のため、興行のため」と笑って「話題づくり」にひと肌脱ぎ、夢だった団体旗揚げに大勢の選手が集結したのも、みんなに慕われた橋本さんだったからだ。


上の記事はネットにあった情報の中でぜひみなさんにも知ってもらいたいと思い載せてみました。


私は今でも橋本真也さんが亡くなったとは思えない
です。

40歳というのはあまりにも早く、短いと感じます。
新日本を離れてからなかなかテレビでも見ることが
なかったので、その訃報には本当にショックでした。


私が橋本真也さんの勇姿で一番覚えているのが、
上の記事にもありましたが、2000年4月の小川直哉選手
との引退をかけた試合です。

最初から小川選手のペースで試合が進んでいたのですが、
途中返し技で橋本選手のDDTが決まったときはいける
んじゃないか、橋本!!
みたいに心が躍ったものです。

しかし、無常にも小川選手のSTOが橋本選手決まります。

そのときの苦しみながら負けじと這い上がる橋本選手の顔を今でも鮮明に覚えています!

最終的には小川選手が勝ったのですが、なんとかして
橋本選手に勝ってもらいたかったな~って思っていました。

ひたむきにあきらめない精神、どこまでも突き進んで
いく姿勢、今日改めて胸に刻んで行こうと思います。
破壊王の姿とともに。


橋本真也さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。


闘魂伝承。



7月12日(火)23:50 | トラックバック(0) | コメント(2) | from:PC | 管理


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